「藤原道長がイケメンだったらいいな!」っとご期待の方へ♪
藤原道長がイケメンだったかどうかは、はっきり言ってしまえば「不明」です。
だけど…、
道長さんほどの人物がイケメンだったら…っと考えるとワクワクしちゃいますよね( *´艸`)
「藤原道長 イケメン」というキーワードでお話していきますので、お読みいただけると嬉しいです^^
- 平安時代のイケメンの条件と道長さんの外見
- 藤原道長さんのイケメンエピソード
- かの紫式部との恋の噂について…
などなどをお話します!
平安時代のイケメンの条件(美意識)と藤原道長の外見は?!
平安時代の美意識と、藤原道長さんの外見についてお話ししましょう。
さて、平安時代の貴族たちって、現代の私たちとはちょっと違った美意識を持っていました。
今日では「イケメン」と呼ばれる顔立ちも、当時は「ちょっと…」だったかもしれませんね?
実は、平安時代には「美男美女」という言葉があり、特に「色白、ぽっちゃり体型、つやつやの黒髪」がモテの条件だったんです。
…で、気になる藤原道長さんはどうだったのでしょう?
彼はどうやら、当時の美的基準にぴったり合っていたのかも?
つまり、色白でふっくらしたイケメンだったかもしれません(笑)
『紫式部日記絵巻』に藤原道長の画があります↓
現代のイケメンとは程遠い感じもしますが…「絵」ですから実際はどうだったか分かりませんよね。
もしかしたらイケメンだったかも知れない藤原道長さん…肖像画と言われるものはありますが、残念ながら、彼の自撮り写真は残っていません(笑)
なので、当時の記録や物語を頼りに、彼の外見を想像するしかないんです。想像力をフル回転させて、平安時代のイケメン(だったかも知れない)藤原道長さんの姿を思い浮かべてみましょう!
…その前に、まず、平安貴族男子のイケメン条件をしっかり把握しましょう(笑)
次のセクションで「平安貴族男子のイケメン条件」を5つご紹介します。
※実際には藤原道長の外見についての詳細は不明です。平安時代の人物の外見に関する記録は非常に限られており、藤原道長の具体的な外見に関する記述は存在しません。
※「色白、ぽっちゃり体型、つやつやの黒髪」は一般的な平安時代の貴族の美意識を表すものであり、特に男性の美意識についてはさらに細かな特徴があった可能性があります。例えば、長い髪、細い眉、細い顔なども美の要素として重視されていました。
平安時代の「イケメン」貴族男子の条件
一般的に、「平安貴族男子のイケメン条件」は以下の5つです。
教養と才能~雅(みやび)男であること
教養があり、マナーや常識に優れ、和歌が上手い男性は「雅(みやび)男」と呼ばれ、非常に魅力的な存在でした。
とくに、和歌を詠めることは、非常に重要な条件でした。
和歌の技能は、教養の高さを示し、恋愛においても重要な役割を果たしていました。
また、教養にはマナーや常識も含まれており、これらの要素がモテるためには不可欠でした。
「みやび男」な現代芸能人は…?というと誰が当てはまるでしょうかね??
- 櫻井翔:嵐のメンバーであり、ニュースキャスターとしても活躍。知的なイメージと良いマナーで知られています。
- 福山雅治:歌手としてだけでなく、俳優としても活躍。落ち着いた雰囲気と紳士的な振る舞いが評価されています。
- 星野源:音楽家として多才であり、俳優としても知られる。教養が高く、品があると評されることが多いです。
- 井ノ原快彦:グループ活動の他、司会者としても活躍。常識的でバランスの取れた人物として知られています。
…あたりですか?(※好みの問題があるので一概には言えません)
容姿端麗
平安時代の男性の美的基準は、「容姿端麗」であることが求められていました。特に顔立ちが整っていることが重視されていたようです。
平安時代の「特に顔立ちが整っている(美男子)」とは、色白で細面・目鼻立ちがくっきりはっきりしていることでした。これは平安時代の男性にとって重要「イケメンの条件」だったんです。
また、平安時代の美の基準では、男性にも女性的な美しさが求められていたようです。これは容姿だけでなく、立ち振る舞いや雰囲気にもです。
優雅なイケメンがモテ条件なんですね~。
高身長
どの時代にも共通する特徴ですが、高身長は魅力的な男性像とされていました。
家柄と身分
家柄も重要な要素。特に天皇家の血筋が入っていると、血筋だけでモテる傾向がありました。
高い位の役職を持つ貴族は、より魅力的だったんですね。
馬術の才能
馬術に長けていることも、男性の魅力を高める要素でした。運動神経も重要ってことですね。
さて、「藤原道長さんのイケメンエピソード」に話を戻しますね!
藤原道長のイケメンエピソードとは?
皆さん、藤原道長さんのイケメン伝説、聞いたことありますか?
平安時代のハートスロブ(女心をわしづかみ!)の彼に、どんなエピソードがあるのでしょうか?
道長さんは外見だけでなく、カリスマ性と政治力も兼ね備えていたんですよ。
政治の世界での抜群の手腕と、貴族社会での洗練された振る舞い。これが女性たちの心を鷲掴みにした理由の一つでしょうね。
道長さんの「できる男」ぶりを象徴するエピソードがあります。
平安時代の政治の舞台で、道長は主役級の存在感を放っていました。
彼の政治生活、それはまるでドラマのよう。道長の政治手腕は、まさに「ゲーム・オブ・スローンズ(王座をめぐる戦いの話)」レベル。
兄弟や他の貴族たちとの権力争いを巧みに操り、摂関政治の頂点に立ったのです。
道長は、自分の力を使って孫を天皇にし、その後、自分の娘たちを皇后にするという「一家立三后」という前代未聞の業績を成し遂げました。
「一家立三后」とは、平安時代中期に藤原道長が生きている間に、娘や孫を3人も皇后にしたということです。
具体的には、一条天皇には道長の長女である藤原彰子が、三条天皇には次女の藤原妍子が、そして後一条天皇には四女の藤原威子が皇后として入内しました。
これにより、藤原道長は一条天皇の時代に太皇太后、皇太后、皇后という三后の地位を自分の娘たちで占め、政治的な権力を極めました。
そして、忘れてはいけないのが、文化人としての彼の魅力。
道長さんは文学を愛好し、多くの作家や芸術家を支援しました。
紫式部さんや和泉式部さんのような才能ある女性作家たちを温かく支えていました。
そんな道長さんは、宮中の作文会に出席するだけではなく、お家で自分で作文会や歌合を開くほど文学が大好きだったんです!
特に『源氏物語』に対する情熱はすごくて、紫式部さんのところに行っては、新しい原稿ができていないかどうかをよく聞いていたそうですよ。
道長さんは、『源氏物語』主人公、光源氏のモデルの一人とされています。
(道長さん、やっぱりイケメンだったのか??)
文学への愛情が深かった道長さんは、自分がモデルのキャラクターの登場を楽しみにしていたのかもしれませんね。
さて、次のセクションは「藤原道長さんと紫式部さんのちょっとドラマティックな関係」に迫ります。お楽しみに!
紫式部との関係:文学と恋愛の交錯
平安のパーティーピープル、藤原道長さんの次の話題は、なんと紫式部さんとの関係です。
え、ドラマ?ノベル?いえいえ、歴史ですよ!
紫式部さん、「源氏物語」の作者です。
当時のベストセラー作家と言えばわかりやすいかも。
で、この紫式部さん、なんと藤原道長さんと恋愛関係にあったという噂が…。
もちろん、これは「噂」のレベルですけどね!
紫式部さんの日記には、道長さんとの何とも言えないエピソードがチラホラ。
たとえば、「ある夜、私の部屋の戸を叩く音が…(夜這いか?!)」(※1)ってな具合です。
昔の恋愛小説みたいでしょ?当時の恋愛事情を垣間見ることができて、なんだかワクワクしますね。
でも、この話、実は結構謎が多いんです。
紫式部さんの日記には、道長さんが「夜這い」をかけたとはっきり書いてないし、それに当時の美男美女の関係は、いまのドラマみたいにはっきりしないんですよね。
…つまり、真相は闇の中。でも、想像するのは自由ですから、みんなで楽しみましょう!
さて、次のセクションは「藤原道長さんの豪胆な性格と文化への情熱」についてお話しします。お楽しみに!
(※1)紫式部の日記に関する記述に関して「夜に寝ていると、道長が部屋を訪ねてきて一晩中戸を叩かれた」という部分は、紫式部の日記に基づいています。しかし、これは彼女が道長の訪問を断っていたことを示唆しており、恋愛関係を示すものではありません。
紫式部と藤原道長の間に恋愛関係に関しては歴史的根拠が不確かです。貴族の系譜を記録した『尊卑分脈』では紫式部を「道長の妾」と記していますが、この記述の信憑性は低いとされています。また、紫式部の日記には藤原道長のアプローチを断るような記述もあり、恋愛関係があったと断言するのは難しいです。
紫式部は道長の娘・彰子の家庭教師であり、道長は彼女の執筆活動の後援者でした。紫式部と道長の関係は、主に職務上のものであり、お互いにとって重要な存在であったことは確かですが、愛人関係にまでは発展していないことが示唆されています。
藤原道長の豪胆な性格と文化への情熱
さて、今日は藤原道長さんのもう一つの面、豪胆な性格と文化への深い愛情についてお話しましょう。
道長さんはただのイケメンではないのです(笑)
まず、道長さんといえば、その豪胆な性格。
エピソードの中には、肝試しを楽しんだり、一人で夜の寺に行ったりする話があります。
まるで、平安時代のアクションヒーローですね!兄弟が怯える中、彼だけが「どこへでも行ってやる!」と言い放つ。
これぞ、本物の男の中の男!(精神的イケメン?)
また、先のセクションでもお話したように、道長さんの「文化への情熱」ですが、これがまた凄いんです。
道長さんは、自分の政治的地位を活かして、多くの文学作品や芸術家を支援しました。
特に、「源氏物語」の作者である紫式部さんには特別な関心を持っていたとか。
道長さんの邸宅は、平安時代のパーティーの中心地。
そこでは、文学や音楽、舞踏が繰り広げられ、平安京の文化が花開いたんです。
彼の家で開かれる宴は、今で言うセレブパーティーのようなものでしょうか?
文学に情熱を注いだだけでなく、建築にも力を入れていました。
藤原道長は平安時代中期に『法成寺』を建立しました。法成寺は建立当時、摂関期最大級の寺院として、その豪華さと規模で知られていました。
法成寺は、平安時代の栄華を象徴する寺院として、後の平等院のモデルとなった寺院です。

平等院
※『法成寺』は現在ありません。その跡地には石碑が建てられています。
※法成寺跡地の石碑は京都市上京区荒神口通寺町東入北側にあります。
…というわけで、藤原道長さんは、豪胆で、文化のパトロン。いろいろなイケメン要素があって、まさに平安時代のスーパースターだったんですね!
【おまけ】「道長 イケメン」と検索する人がいるのはなぜなのか?
「道長 イケメン」と検索する人がいるのは、ちょっとした時代越しの美男子探しの冒険みたいなものですよね。
みんな、歴史の教科書に出てくる人物がどんな顔していたのか気になります。
特に、藤原道長みたいに昔の大物になると、もしかして昔のイケメンだったのかな?
…って思っちゃいますよね??
イケメンだったらイイナ( *´艸`)♪
「道長 イケメン」で検索する人の心理はどんなものがあるのでしょう??
歴史の偉人たち、実際どんな顔してたんだろうって思うこと、ありますよね。
藤原道長みたいな有名人の顔が気になるのは、自然なことです。
藤原道長が本当にイケメンだったかどうかは、時代を超えた大きな謎の一つ。
昔の人の「イケメン」を想像するのは、歴史の授業よりずっと面白いかもしれませんね!
歴史の人物を今の目で見直して、新しい角度から過去を知ろうとする試みなんですね!