『枕草子』から覗く清少納言の性格を探ってみましょう。
清少納言って、とってもチャーミングで社交的だけど、どこか強い意志を感じさせる方だったんですよね。
でもね、この作品をじっくり読み込むと、彼女の繊細で心優しい一面がチラリと見え隠れするんです。
そんな清少納言の「多彩で魅力的な性格」を、深掘りしていきたいと思います。
清少納言は知的で陽気!いたずらっぽく茶目っ気あり
清少納言って、『枕草子』の中でぱっと光る、キラキラとした社交的なキャラクターなんですよ。
詩や歌に詳しく、貴族たちとの楽しいおしゃべりが得意だったんですって。
清少納言の性格が垣間見える、面白いエピソードがいくつかあります。
ある日、あるお偉いさん(定子の弟:中納言隆家)が、自慢の扇の骨( 扇骨:扇子の骨組みの部分)を見せびらかしていると、
清少納言が「それって、珍しいクジラの骨?」ってジョークを飛ばして、みんなを笑わせたんですって。
清少納言は、言葉遊びの才能もありますよ。
雨で足がびしょ濡れの人が敷物に座るのをためらっていたら、「これは足を洗うための敷物ですよ」と言って場を和ませたんです。
日本語の「せんぞく」が、「洗足(足を洗う)」と「氈褥(敷物)」のダジャレなんですって。賢いダジャレですね。
そして、清少納言はお祭りやイベントも大好きだったみたい。
ある日、友達と牛車で出かけて、藤原公信(ふじわらのきみのぶ)の家に寄った時のこと。彼女は急に牛車を走らせて、公信をからかって大笑いしたんですって。
公信が雨に濡れながら追いかける姿を見て、もう爆笑だったそうです。
この時のやり取りでは清少納言のいたずらっぽさが垣間見えますね。
こんなエピソードから、清少納言は賢くて明るい性格で、人を楽しませるのが天才的に上手だったんだなって思います。
楽しいことが大好きで、知的で社交的。いたずらっぽく、茶目っ気もあったんですね。
清少納言は負けん気の強さあり!勝ち気な女子
『枕草子』で見る清少納言、実はかなりの勝ち気で負けず嫌いなんですよ。
清少納言は自分がみんなから一番だと思われたいタイプで、これは友達や知り合いにも同じだったみたいです。
例えば、ある時、藤原行成が手紙を送ってきて、前に話が中途半端に終わったのは「鶏の声が聞こえたから」と説明したんです。
(※清少納言と藤原行成は仕事仲間であり、親友でもあるが恋愛関係では無かったとか)
これは男女の逢い引きを暗示する逢坂の鶏の話なんですけど、清少納言は鋭い和歌で応酬。その和歌は「鶏の声で騙せると思っても、私はそんなに簡単には騙されないわよ」という感じでした。
それから、当時の女性たちがあまり公にしなかった漢詩の知識も、清少納言は自信を持って使っていたんです。
藤原定子が漢詩について尋ねた時、彼女はすばやくすだれを上げて、その教養を見せつけたんです。
さらに、「5月ばかり、月もなう」という章では、その漢詩の知識を使って、貴族たちを驚かせました。
「雨のうちはへ降るころ」の章では、彼女の負けん気が強く出るエピソードも。
藤原信経に冗談を言われた後、清少納言は彼の字が下手だとからかって、中宮の前で歌を詠むよう挑んだんです。
信経は字に自信がなかったので、慌ててその場を去っちゃったんですよ。
これらのエピソードを見ると、清少納言がどれだけ勝ち気で負けず嫌いだったか、よく分かりますね。
清少納言のストレートな言葉とサバサバした性格
『枕草子』を読むと、清少納言の性格の中で特に目立つのは、彼女が物事をストレートに言うことです。
彼女は自分の意見をしっかり持っていて、遠慮なくそれを表現するタイプでした。
たとえば、魅力を感じない人や品のない行動に対して、彼女は率直な言葉で自分の感想を述べています。
さらに、見た目の大切さや悪口の言い方についてもオープンに話していて、今でいう「毒舌」と言えるかもしれませんね。
身近な人たちにも、清少納言は直接的な意見を言っていたようです。
特に言葉遣いには厳しい目を持ち、そのストレートな言葉が時には周囲の人たちとのトラブルにもなっていたようです。
例えば、源宣方との間には、彼女の率直なコメントが原因で絶交するという話もあります。
清少納言が彼の私生活について辛辣なことを言ったことで、宣方が怒ったのです。
さらに、自分自身の失敗についても正直に話すことが多く、これは彼女が自分自身にもストレートであることを示しています。
例えば、急いで作った服の細かいミスについて自分で批判するような話も残されています。
これらのエピソードから、清少納言は自分の意見をはっきりと言う、自分自身をよく理解しているサバサバとした性格の人だったと言えるでしょうね。
清少納言の繊細な心の内側
『枕草子』を読むと、清少納言には内向的で繊細な面が垣間見えることがあります。
たとえば、宮中での初めてのお仕事に緊張して、定子の前で隠れたくなるほどだったというエピソードがあります。
また、自分の天然パーマ(くせ毛)の髪にコンプレックスを感じていたことも、彼女の繊細さを表していますよね。
「2月のつごもりごろに」という節では、和歌の一節を作ることになったとき、貴族たちの反応が気になって仕方がなかった様子が描かれています。
これは、他人からどう思われるかを気にしていたことがうかがえます。
宮中で経験を積んでいくうちにも、彼女は時々繊細で心配性な一面を見せていたようです。
こうしたエピソードは、普段は活発で負けん気の強い性格として知られている清少納言の、別の一面を見せています。
実際、『枕草子』の中で彼女自身が和歌に苦手意識を持っていると打ち明けていることから、表面上は自信たっぷりに見えても、実は和歌を詠む時には緊張していたのかもしれませんね。
清少納言の思いやり深い一面
清少納言は、自分本位で思いやりに欠ける人々にしばしば批判的な視点を持っていました。
彼女は、長時間の訪問、騒がしい宴会、無礼な音の立て方、礼儀を知らない子供やその子供を放任する親などに対して不快感を持ち、これらの様子を『枕草子』で描いています。
彼女は「よろづのことよりも」という章で、男女に関わらず人としての思いやりの重要性を語っています。
実際、清少納言自身もこのような思いやりを実践していたと言われています。
特に、『枕草子』が書かれた背景には、彼女が仕えていた定子への深い思いやりがありました。
定子が宮廷での支持を失い困難な時期を過ごしているとき、清少納言は彼女を慰めるためにこの作品を書き始めたとされています。
彼女は楽しかった日々を思い返し、苦しい話題は避けるようにしていました。
さらに、清少納言は『枕草子』を通して、定子に楽しい読書体験を提供しようとしたと考えられています。
彼女の批判は鋭いものの、文体には悪意がなく、軽やかです。
これらの文章からは、彼女の深い思いやりと温かみが伝わってきます。
紫式部の目を通した清少納言
紫式部は同時代を生きた作家であり、自著『紫式部日記』において清少納言について触れています。
紫式部によれば、清少納言は自信に満ちた、少々偉ぶるような態度を取っていたようです。
彼女は自らの知識や才能を誇示し、それを自慢していたものの、紫式部は彼女を完全無欠な人物とは見ていなかったようです。
紫式部は清少納言が他人よりも目立ちたがる傾向にあると指摘し、彼女の軽薄な振る舞いを批判しています。
これらの記述は批判的に聞こえるかもしれませんが、同時に清少納言が社交的で明るく、才知に富む勝気な性格の持ち主であったことも示唆しています。
紫式部の記述からは、清少納言がその時代の人々にどのように見られていたかが伝わってきます。
この記述を通して、彼女が目立つことを好み、活発でエネルギッシュな女性として知られていたことが理解できます。
清少納言の多面的な性格まとめ
清少納言は、その社交性と高い教養によって、周りの人々を魅了していたと言えるでしょう。
彼女には人々を惹きつける明るさと魅力があり、貴族社会においても自信に満ちた態度を見せていました。
彼女は自らの意見をはっきりと述べる直接的な性格を持ちつつも、実際には繊細で思いやりのある一面も持っており、これは『枕草子』を通じても伺えます。
現代的な観点から見ると、清少納言は「理想のキャリアウーマン」としての特徴を備えていた可能性があります。
彼女の生き方や性格は、当時の女性たちにとって憧れの存在であったことが推測されます。
このような清少納言の多面的な人格は、時代を超えて現代に至るまで多くの人々に影響を与え続けています。